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弔辞

 投稿者:森田一義メール  投稿日:2008年 8月10日(日)12時06分29秒
   弔辞

 8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。

 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

 今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。

 私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。

 平成20年8月7日、森田一義
 
 

お前 東京へ行け

 投稿者:シゲメール  投稿日:2008年 7月 4日(金)14時27分36秒
  後悔のない人生なんてほとんどの人間はできんやろ
オレなんか後悔のオンパレードや
後悔はある
あるけど納得できる人生やったわ
 

Goodなことをやらない Bestに集中する

 投稿者:佐野陽光(クックパッド株式会社メール  投稿日:2008年 5月23日(金)01時18分24秒
  ポイントは3つ。
1,商売として成り立つか
2,世界で一番を狙えるか
3,自分がやりたいことか

Badなことをやらないのは簡単。
このうちの2つを満たすのがGood。
3つ満たすのがBest。それを探せ。
 

記憶の遺産~アウシュビッツからヒロシマへのメッセージ~

 投稿者:アウグスツ・コルバチェフ?メール  投稿日:2008年 3月29日(土)20時47分52秒
  「『人間を信じられるかどうか』の答えがここにあります」

収容所を脱出してかくまわれた家族と再会して

ヒロシマ。被爆した韓国人。
 

世界が終わる夜に

 投稿者:チャットモンチーメール  投稿日:2008年 2月 8日(金)12時50分57秒
  しまった!もう世界は終わっていた  

、映画の誕生の時はビジネスそのものだった

 投稿者:山田洋次メール  投稿日:2007年 9月25日(火)12時09分43秒
  映画における、芸術性とビジネス性は対立するもので、
ちょうど仲の悪い夫婦が一緒に暮らしているようなもので、
しかし作品という子供を生みださなければならない、
そこが映画の面白いところ

http://response.jp/issue/2007/0921/article99452_1.html
 

「ネット幸福論」

 投稿者:宗像明将メール  投稿日:2007年 4月18日(水)22時09分40秒
  「ブラウザを見つめているだけで幸せになれると思ったのかい」  

「俺だって金さえあればやるのになぁ」

 投稿者:過去の本人メール  投稿日:2007年 4月13日(金)09時18分16秒
  君に足りないのは金じゃない  

「敷居をまたいだら7人の敵がいる」

 投稿者:猪瀬直樹メール  投稿日:2007年 3月 1日(木)13時13分10秒
  「敷居をまたいだら7人の敵がいる」ということわざを知ってるかな?
一度敷居をまたいだら、つまり、一度仕事を持ったら、7人の敵がいることを覚悟しなくてはいけない。それは男も女も同じこと。7人の敵の中では、いつどこで暴力を受けるかわからない。
セクハラだって暴力だからね。男性であれば、上下関係のいじめであったり、違う形での敵に必ず出くわす。
仕事をしていれば、当たり前のようにいる敵なのだと思って対処すること。
 敷居をまたぐということは、よそさまの敷地に足を踏み入れるということ。
あなたはまだ、敷居をまたぐという心構えができていない。
これを機に自分で考え、解決することと、自分の身を守ることを学び、
凛とした女性になることが大切だ。
 

幸せにならなきゃだめだ

 投稿者:加藤千恵メール  投稿日:2007年 2月10日(土)14時13分26秒
  誰一人 残すことなく 省くことなく  

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